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東京地方裁判所 平成5年(ワ)22757号 判決 1997年5月21日

主文

一  原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告安田火災海上保険株式会社は、原告株式会社現代美術社に対し金三〇〇〇万円、原告松木寛子に対し金一億円、原告甲野世津子に対し金七四一五万円、原告甲野圭に対し金三七〇万五〇〇〇円、原告甲野理子に対し金三七〇七万五〇〇〇円、及びこれらに対する平成五年一月一日から各支払済みまでいずれも年六分の割合による金員を支払え。

二  被告大同生命保険相互会社は、原告株式会社現代美術社に対し金一億円及びこれに対する平成五年一月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

三  被告エイアイユーインシュアランスカンパニーは、原告株式会社現代美術社に対し金七〇〇〇万円、原告甲野世津子に対し金三五〇〇万円、原告甲野圭に対し金一七五〇万円、原告甲野理子に対し金一七五〇万円、及びこれらに対する平成五年一月一日から各支払済みまでいずれも年六分の割合による金員を支払え。

四  被告大東京火災海上保険株式会社は、原告甲野世津子に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する平成五年一月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、平成四年九月二九日に死亡した故甲野一郎(以下「一郎」という。)を被保険者とする傷害保険契約、所得補償保険契約又は生命保険契約(以下、併せて「本件保険契約」ということがある。)の保険金受取人である原告らが、本件保険契約の保険者である被告らに対し、一郎がビルの非常階段踊り場から転落して死亡したことが本件保険契約における保険事故に該当する旨を主張して、本件保険契約に基づく各死亡保険金の支払を求めている事案である。

被告らは、いずれも、一郎は同人が経営する会社の経営不振を苦にして飛降り自殺をしたものである旨を主張して、右自殺であることを前提として保険金支払義務がない旨主張している。

したがって、本件の主たる争点は一郎の死因が自殺であるかどうかである。

一  争いのない事実等

1  当事者

原告甲野世津子(以下「原告世津子」という。)は、一郎死亡時の一郎の妻である。原告甲野圭(以下「原告圭」という。)及び原告甲野理子(以下「原告理子」という。)は一郎の子である。

原告松木寛子(以下「原告松木」という。)は、一郎の友人である。

原告株式会社現代美術社(以下「原告会社」という。)は、一郎が設立した会社であり、一郎がその死亡時まで経営していた教科書出版等を業とする会社である。原告会社の平成四年九月二九日当時の本店は、東京都港区東麻布一丁目二六番一号の赤羽橋ビル七階に所在した。(原告会社代表者兼原告本人甲野圭)

被告大同生命保険相互会社(以下「被告大同」という。)は、生命保険業を営む相互会社であり、被告安田火災海上保険株式会社(以下「被告安田」という。)、被告エイアイユーインシュアランスカンパニー(以下「被告エイアイユー」という。)及び被告大東京火災海上保険株式会社(以下「被告大東京」という。)は、いずれも損害保険業を営む株式会社である。

2  保険契約

原告会社及び一郎は、被告らとの間で、別紙保険契約一覧表記載1ないし27のとおり(ただし、同一覧表記載の「障害保険」をいずれも「傷害保険」と訂正する。)、一郎を被保険者とし、受取人を原告らのいずれかとする各保険契約(本件保険契約)をそれぞれ締結した。

(乙四の1、3、五ないし一六の各1、一七の1、3、一八ないし二三の各1、二四ないし二六、丙一、戊四の1、2)

本件保険契約のうち、被告安田(ただし、別紙保険契約一覧表記載26を除く。)及び被告エイアイユーとの間の各保険契約は、いずれも傷害保険契約であり、その保険金請求権の発生要件は、被保険者が「急激かつ偶然な外来の事故」により身体に傷害を被った場合と約定されていた(乙二八、三〇、丁一)。

被告安田との間の保険契約のうち別紙保険契約一覧表記載26の契約及び被告大東京との間の保険契約は、いずれも所得補償保険契約であり、その保険金請求権の発生要件は、被保険者が「急激かつ偶然な外来の事故」により身体に傷害を被りその直接の結果として就業不能になった場合と約定されていた(乙二九、戊六)。

被告大同との間の保険契約は生命保険契約であり、死亡保険金請求権の発生要件は被保険者の死亡と約定されていたが、給付責任開始の日から一年以内の被保険者の自殺は支払免責事由となる旨約定されていた(丙三)。

3  一郎の死亡

一郎は、平成四年九月二九日午前二時五一分ころ、原告会社が使用していた前記赤羽橋ビルの外壁に設置されていた非常階段の六階と七階の間の踊り場(以下「本件踊り場」という。)から地面に転落し、頭蓋内損傷により死亡した(以下「本件事故」という。)。

4  質権設定及び仮差押え

別紙保険契約一覧表記載4ないし23の各保険契約に係る保険金請求権には株式会社富士銀行(以下「富士銀行」という。)を質権者とする質権が設定されており、同表記載26の保険契約に係る保険金請求権については株式会社北海道拓殖銀行(以下「拓銀」という。)による債権仮差押えがある。

二  原告らの主張

1  被告ら主張の経済的理由による自殺の動機の不存在

(一) 一郎は、昭和四四年に原告会社の前身である有限会社現代美術社を設立し、昭和五二年に同有限会社を株式会社に組織変更し、昭和五五年度から教科書の出版事業を開始した。しかし、昭和五五年度の原告会社作成の小学校用図工教科書の採択(教育委員会等により学校で使用する教科書として決定されること)数は僅か一万二〇〇〇部、売上高は約一六〇万円であり、教科書制度の弊害の発露としてマスコミや国会にも取り上げられる話題になった。そのため、原告会社は、右組織変更直後から多額の赤字を抱えることになったが、子供たちに質の高い教科書を提供するという原告会社の理念は教育界に共感を呼び起こし、また、彫刻家の佐藤忠良、画家の安野光雅ら著名な芸術家の支援も受け、昭和六一年ころからは単年度ベースでは採算が取れるようになってきた。

平成四年度からは、小学校一、二年生の理科及び社会に替わって生活科が新設されたが、原告会社は右生活科のための教科書事業に参入し、右の教科書は単価が高いこともあって原告会社は財政的にも成功を収めた。

平成四年九月時点の原告会社の借入金は合計六億三〇五八万八〇〇〇円であり、これらは主として昭和五五年から昭和六〇年ころにかけて累積した赤字であるが、原告会社は平成四年九月まで一度も利息の支払を遅延したことがなかった。

一郎の死亡当時、原告会社は、借入金を一挙に返済することはできなくとも、教科書の売上げ増加によって徐々に返済してゆく見込みを有していたから、一郎が原告会社の経営不振を苦にして自殺したということはあり得ない。

(二) 原告会社は、昭和五七年以降教科書供給委託契約の相手方を取次店である日本出版販売株式会社(以下「日販」という。)とし、株式会社日本長期信用銀行(以下「長銀」という。)からの融資につき日販の連帯保証を得るなどの援助を受けていた。もっとも、日販の援助は単なる温情によるものではなく、同社の営業政策上の判断が働いた結果ではあった。

原告会社は、平成四年六月、日販から平成五年度用教科書見本制作費等の代金として四二〇〇万円の前受金を受領し、その一方で一郎は、原告会社の平成五年度の教科書供給委託契約の相手方を日販と同様の教科書の販売取次店であって日販と競争関係にある株式会社トーハン(以下「トーハン」という。)に変更することとしたが、これは、従前懇意にしていた日販の担当者が子会社に移ったこと、トーハンからも度々右契約の締結を要請されていたこと、トーハンの方が日販よりも契約条件が良いことなどからしたことであって、日販に対する背信行為となるような二重契約ではない。

すなわち、右当時、原告会社は、漸次日販への債務を減らして日販に差し入れていた担保物件(佐藤忠良作の彫刻作品三体時価合計約六〇〇〇万円相当及び都内新宿区下落合所在の一郎の自宅マンション)を取り戻し、右担保物件を別途有効に利用する予定であったが、日販が余剰担保の一部の取戻しに応じなかったため、やむなく、平成四年六月、右担保物件の余剰担保価値を利用する目的で、日販から平成五年度用教科書見本制作費等の代金の前受金として四二〇〇万円を受領することとし、資金を調達したにすぎないものである。したがって、その一方でトーハンとの間で前記契約を締結しても、日販に対する背信行為になることはなかったものである。

原告会社と日販との間の右の問題は、いずれにしても、債務の弁済、今後の取引方法などについての話合いによって解決し得る事柄であるから、一郎が右に関する日販への背信行為を苦にして自殺したということはあり得ない。

(三) 原告会社には、平成四年九月三〇日に決済すべき債務として、長銀に対する約六三五万円(元金六二五万円及び利息)、日本写真印刷株式会社(以下「日本写真」という。)に振り出した手形二通分の合計約三〇〇〇万円があったが、同月末から翌年にかけて文部省などから多額の教科書代金が入金される予定があり、右平成四年九月三〇日に決済すべき債務は若干の支払猶予を得ることさえできれば十分に決済することができたものである。そして、日本写真は上場企業で資金力があり、原告会社からの三〇〇〇万円程度の支払が多少遅れてもその資金繰りにさほどの問題はなく、右文部省からの入金は確実であったから、日本写真が右支払延期を拒絶することはあり得ず、その後実際にも異議なく右延期に応じているものである。

2  一郎の健康状態

一郎は、平成四年一月、出張先の宮城県の旅館で入浴する際、脱衣場で突然数秒間意識を失い倒れたことがあり、右は一過性脳虚血発作を疑わせる。

他にも、一郎には以前から頭痛の症状があり、平成二年ころには夜間自動車運転中に気分が悪くなり嘔吐したこともあり、一郎には脳血管障害の既往症があると考えられる。

3  一郎の本件事故直前の行動

本件事故の前日である平成四年九月二八日、一郎は、午前中に飼い犬を獣医に連れて行き、午後から原告会社に出社して検定教科書の校正作業、納品の確認等の業務を行った。同日、高校一年生の美術教科書の巻頭に使用するピカソの「ゲルニカ」の絵の印刷校正刷りが出来上がってきていたが、一郎はこれを気に入った様子であった。

一郎は、同日午後五時三〇分ころ、原告会社従業員の平林ゆり(以下「平林」という。)と一緒に原告会社近くの食堂「大むら」に夕食に行き、日本酒二、三合を飲み、ギョウザ、ピーマンの肉炒め、ご飯を食べた。その際、一郎は、金丸信に抗議してハンガーストライキをしていた青島幸男が家族の希望でドクターストップになったというテレビニュースを見て、「日本の政治はだめだ。良くならない。ドクターストップをかける青島幸男の奥さんもだめだ。一度男が始めたことを女房が止めてくれと言ったからといって途中で止めた青島幸男もみっともない」などと批判し、また、愛犬の話、相撲や野球の話を機嫌良く話すなどしており、自殺の兆候は全くうかがわれなかった。

一郎と平林は右夕食後原告会社に戻り、一郎は日本写真と電話で打合せを行い、「ゲルニカ」の印刷に使用したポジフィルムを貸してくれたプリハード株式会社(以下「プリハード」という。)の佐藤哲弥に電話をし、右借用の礼を述べるとともに、三日後の一〇月一日に会って酒を飲む約束をした

平林は、右九月二八日の夕食後、午後七時三〇分ころ仕事を終えて退社したが、その際一郎は「ちょっと眠くなったから一眠りしてから仕事をする」と言って社長室のソファに横になっていた。

4  本件事故の発生原因ないし機序

一郎は、右九月二八日の午後七時三〇分ころから仮眠をとった後、社長室の机で仕事をしていたが、翌二九日午前二時五二分ころ、気分転換の目的で本件踊り場に出たところ、偶々一過性脳虚血発作を起こして立ちくらみの状態となり、バランスを崩して地上に転落したか、又は、帰宅しようとして同人の乗用車の位置を確認するなどの目的で本件踊り場に出て、手すりから身を乗り出して本件踊り場の下にある駐車場を覗き込んだ際に、誤ってバランスを崩して地上に転落したものである。

本件踊り場には、高さ約1.1メートルの手すり(以下「本件手すり」という。)があるが、本件手すり付近でバランスを崩した場合には大人でも本件手すりで支えきれずに頭から転落することは十分あり得る現象である。また、本件手すりの下には高さ約一一センチメートルのコンクリートの立上りがあるため、実質的な手すりの高さは約九八センチメートル余にすぎず、一郎が右コンクリ一ト立上り部分に足をかけて下の駐車場を覗き込んだ場合は、誤って転落する可能性が大きい。

前記のとおり、一郎には経済的理由によって自殺するという動機がなく、本件事故の前にも全く通常どおりの生活をしており、何らかの自殺の動機原因があったということも全く認められず、一方、本件踊り場において右のような偶発的な事故が生じたという十分な可能性が認められるものであるから、本件事故は自殺によるものとは到底認められないものであり、後記の被告らの主張は失当である。

5  相続関係等

原告世津子、原告理子及び原告圭は、いずれも一郎の法定相続人であり、法定相続人を受取人とする別紙保険契約一覧表記載2、4ないし23及び25の保険につき、各法定相続分に応じて原告世津子は二分の一、原告理子及び原告圭は各四分の一の割合でそれぞれ保険金請求権を取得した。

6  請求

原告らは、遅くとも平成四年一二月三一日までに被告らに対し本件保険金の支払請求をしたが、被告らはこれを支払わない。

7  まとめ

よって、原告らは、被告らに対し、「第一 請求」欄記載のとおりの各保険金の支払と、その支払請求をした後である平成五年一月一日から各支払済みまで年六分の商事法定利率による遅延損害金の支払を求める。

三  被告らの主張(弁論の全趣旨から、被告らは相互に事実経過に関する主張を援用しているものと認める。)

1  被保険者の自殺

(一) 自殺の動機

(1) 教科書出版業界の内情

一般に、教科書は単価が安いため利幅が薄く、その制作費は固定されている原版作成費以外は紙代と印刷費であり、一種類当たりの製作量が多いほど右固定費の占める割合が低下するから、教科書出版業は小中学校では一学年一〇万冊、高校では三〇万冊の採択があってようやく採算ラインに達するとその業界においていわれている。そのため、右教科書制作に関わる会社は一課目で膨大な採択数を得ているような会社であるか又は大出版社であることが多いところ、原告会社の教科書出版事業は小規模であるから、元々到底採算が合わなかったものと考えられる。

(2) 原告会社の負債状況

平成四年九月末当時、原告会社の総負債は約八億六〇〇〇万円に達していたのに、原告会社の年間売上げは約二億円であったから、原告会社の経営は本件事故当時いつ倒産してもおかしくないような危機的状況にあった。

原告会社の決算は、借入金を過少計上し、売上げを過大計上したり、前払金は実際には負債というべき内容であったのに資産として計上するなどしており、実態を反映しない粉飾決算であった。これは、原告会社の右危機的な経営状況が判明した場合には、金融機関から融資を受けられなくなり、また、文部省から教科書発行業者の指定を受けられなくなるなどの理由によるものであった。

一郎は、その親族、従業員の父親の所有不動産などをも担保として原告会社の融資を受け、取引先の日販からも無担保で融資を受け、バブル期の信用膨張にも助けられながら原告会社の資金繰りをしてきたが、本件事故当時、原告会社は利息の支払に追われて負債は増加の一途をたどっていた。

なお、原告会社の経理は専ら一郎が担当しており、平林ら他の従業員は実態を正確に把握していなかった。

(3) 教科書供給取次会社との二重契約

原告会社は、従前は日販との間で教科書供給委託契約を締結し、日販が原告会社発行の教科書の販売を専属的に受託し、その替わり、原告会社は日販から前受金、長銀からの借入れの債務保証、在庫品買取り等の名目で多額の融資や信用供与を受けるという関係にあった。

そして、原告会社は、日販から、平成四年六月四日にも平成五年度供給予定教科書見本制作費等の名目で四二〇〇万円の前受金を受領したが、原告会社は既に同年一月三一日に、日販の競争会社であるトーハンとの間で平成五年度の教科書供給委託契約を締結し、その前受金名下に九〇〇〇万円を受領しており、一郎は右事実を日販には秘していた。そのため、本件事故当時、日販の担当者は、一郎に対し、日販との間の平成五年教科書供給委託契約の契約書に署名して提出することを度々求めていた。

(4) 本件以外の保険契約の満期の到来

一郎は、昭和五七年一〇月一日、アメリカン・ライフ・インシュアランス・カンパニー(以下「アリコ」という。)との間で、被保険者一郎、死亡保険金二億円(初年度。その後は逓減して最終年度である平成四年度は四〇〇〇万円)、保険契約期間一〇年とする掛捨ての無配当逓減定期保険契約(以下「逓減保険」ということがある。)を締結し、昭和六〇年五月八日、債務の担保のため右死亡保険金の受取人を日販に変更していたが、右保険の満期日は平成四年九月三〇日であり、それ以降に一郎が死亡した場合には失効し保険金は支払われないものであった。なお、右保険は逓減方式という一般にはほとんど知られていない方式の特殊な保険であり、一郎及び日販は最終年度である平成四年度に保険事故が発生した場合でも二億円の保険金が支払われると考えていたと思われる。

(5) 債務弁済の必要

原告会社は、平成四年九月末ころ、①同月三〇日を支払期日とする長銀に対する分割支払金元利合計六三五万円、②同日を支払期日とする日本写真に対する手形二通合計三〇四七万七二九〇円、③同年一〇月九日を支払期日とする長銀に対する分割支払金一八〇〇万円の各債務を弁済する必要があったが、原告会社の右資金繰りの目途は立っておらず、一郎はその対応に苦慮していた。

(6) まとめ

以上からして、本件事故当時、一郎は、原告会社の資金繰りに行き詰まり、日販及びトーハンとの間の前記二重契約が明るみに出てしまえば、原告会社の倒産は免れないような状況にあったところ、アリコの逓減保険が満期になる以前に一郎が死亡すれば、少なくとも日販には迷惑をかけないで済むと考えていた可能性が高いから、自殺するにつき十分な動機を有していたものというべきである。

(二) 一郎の健康状態

一郎は本件事故の数年前、聖母病院の人間ドッグで検査を受けているが、脳血管関係の疾病は認められておらず、本件事故の際一過性脳虚血発作があったかもしれないという原告らの主張は憶測にすぎない。

(三) 一郎の本件事故直前の行動

一郎は、死亡前、「教科書で今の政治は直せない」などと発言し、また、三島由紀夫の自殺の話などもしていたという。

本件事故の前日である平成四年九月二八日の夕方、一郎が平林と食事をした際、一郎に自殺の兆候がうかがわれなかったとしても、自殺念慮が形成される時的関係は、瞬間的な情動の爆発によって自殺が決定されるものから、数年にわたって完成するものまで種々雑多であり、平林と食事をした時から本件事故まで七時間以上を経過していることに照らせば、平林と食事をした際一郎に自殺の兆候がうかがわれなかったことをもって一郎の自殺を否定する根拠とすることはできない。また、自殺者の心理として遺書を残すことはむしろ少ないから、一郎の遺書がないからといって自殺でないということもできない。

(四) 本件踊り場の状況

本件踊り場は、原告会社の事務所(七階)から非常階段に出て階を半分下った踊り場であり、通常は使用しないような場所である。

本件踊り場には、転落防止のため非常階段外側の全面に、建築基準法施行令一二六条一項所定の安全基準に適合する床面から一一〇センチメートルの高さの鉄製の手すり(本件手すり)が設置されている。

本件手すりの最高部は、身長約一六七センチメートルの一郎が立っている場合その鳩尾付近に位置し、一郎の身体の重心よりも相当高い位置にあるから、仮に一郎が本件手すり付近で立ちくらみを起こしたとしても、身体が崩れ落ちることがあるにとどまり、本件手すりを越えて外側に転落するということは到底考えられない。したがって、一郎は自らの意思で本件手すりを乗り越えたというべきである。

なお、本件手すりには一郎のものと思われる手の跡が残っており、これは、一郎が誤ってないしは立ちくらみを起こして外側に転落したという原告らの主張と背反する。

一郎の落下場所は、本件踊り場の非常階段の外側直下地点から更に約三メートルも離れており、このことからしても、一郎は過って転落したのではなく、その意思によって本件手すりを乗り越えたものというべきである。

よって、本件事故は一郎の自殺によるものである。

(五)(1) 被告安田、被告エイアイユー及び被告大東京の主張

本件事故は、一郎の自殺によるものであり、被告らの傷害保険の保険金請求権の発生要件である「急激かつ偶然な外来の事故」のうちの「偶然」という要件を充足しないから、原告らの被告に対する保険金請求権は発生しない。なお、傷害保険における右「急激かつ偶然な外来の事故」が発生したことの証明責任は請求者側にあるというべきである。

(2) 被告大同の主張

原告ら主張の保険契約上の定期保険普通保険約款により、被告大同は給付責任開始の日から一年以内の自殺については生命保険金の支払義務を負わない旨約定されており、本件事故は右一年以内の自殺に当たるから、被告大同は原告らに対し右保険金の支払義務を負わない。

2  被告大同の主張

被告大同は相互会社であって商人ではなく、また相互会社のする保険契約は商行為ではないから、原告らが被告大同に対する附帯請求として商事法定利率による遅延損害金を求めるのは失当である。

3  被告安田の主張

別紙保険契約一覧表記載4ないし23の各保険契約に係る保険金請求権には富士銀行を質権者とする質権が設定されており、同表記載26の保険契約上の保険金請求権については拓銀からの債権仮差押えがある。

第三  争点に対する判断

一  前記事案の概要一記載の事実、証拠(全体につき、甲二一、二六、三五、戊一三、証人中谷恒行、証人平林ゆり(第一、二回)、原告本人甲野圭。その余は、以下の各項に掲げた証拠)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  本件事故に至る背景事情

(一) 一郎は、昭和五年一月二六日生まれの男性であり、教科書出版会社、美術書出版会社等に勤務した後、昭和四四年に有限会社現代美術社を設立し、美術書及び絵本の出版などを行い、その後昭和五二年に右有限会社を株式会社に組織変更した上、児童生徒に少しでも質の高い教科書を届けるという理想を掲げ昭和五五年度からの教科書出版事業に着手するようになった。

(二) 教科書出版事業は多額の先行投資を必要とする事業であるが、そのような先行投資にもかかわらず、右教科書出版を開始した年である昭和五五年度の原告会社の小学校図工教科書の採択数は一万二〇〇〇部、売上高は約一六〇万円にすぎず、そのため、原告会社は多額の赤字を抱えることになった。

しかし、原告会社の発行する教科書は独創的な内容を持ち、教育現場に携わる教師らから高い評価を受け、一郎の掲げる理想に共鳴した教師らが原告会社の教科書に無償で執筆したり、高名な彫刻家である佐藤忠良を始めとする一郎の友人、親戚らが支援するなどし、原告会社は、都内新宿区下落合所在のマンション等の一郎の個人資産や、一郎の姉である高橋美津子所有の土地建物や、元原告会社の従業員の原告松木所有の土地などを担保にして銀行から融資を受け、また、佐藤忠良の制作した彫刻作品の販売等による収益を利用するなどして運転資金を捻出し、教科書の発行を継続した。

(甲三、四、一三、一四、二二、二四、二五、乙三一、三二の各1、2、三三の1の1、2、三三の2、3、三四、三五の各1、2、三六)

(三) そして、原告会社は、右教科書出版を開始した昭和五四年以降、その出版に係る教科書の販売を日販に委託するようになり、昭和五六年ころから平成四年までは専属的に日販に委託した。日販は、原告会社に対して極めて協力的な姿勢をとり、原告会社に対し毎年前受金名目で融資をし、翌年の教科書販売代金から右の弁済をうけるということを繰り返し、その他にも、原告会社の長銀からの借入れについて連帯保証人になるなど、本件事故当時まで、原告会社に対し手厚い支援を継続的に行っていた。

原告会社は、昭和六〇年五月八日、日販に対する債務の担保のため、昭和五七年一〇月一日にアリコとの間で締結していた被保険者を一郎とする生命保険の死亡保険金の受取人を原告会社から日販に変更した。

右生命保険契約は、無配当逓減定期保険と称するもので、期間は一〇年間であり、右保険期間は本件事故の翌日である平成四年九月三〇日に満了するものであったが、初年度死亡保険金は二億円で、以来毎年保険金額が逓減し、最終年度である平成四年度の死亡保険金は四〇〇〇万円になるという内容であった。

右のような我が国ではあまり見られない種類の保険契約であったため、日販は右保険の内容が右のような逓減方式であることを知らず、満期まで二億円の死亡保険金が支払われるものであると認識していた(一郎の認識については必ずしも定かでないが、一郎も日販と同様の認識であった可能性が十分にある。)。

(甲九の1ないし4、三一、三二、戊一〇、一一)

(四) 国が出版社から買い受ける教科書の価格は、昭和三八年には原価計算をして価格が決められたものの、それ以降の価格は、その伸び率を事実上対前年比で決定し計算するという方式であったこともあって、実際のコストに比較して相当程度低廉に抑えられており、原告会社の発行している教科書のうち、平成四年度の小学校図工教科書の販売価格は一冊一六六円、中学校の美術教科書のそれは一冊二四九円という低廉さであった。

原告会社の発行する教科書は、前記のとおり、一郎の理想に共鳴した教師らが原稿料なしで執筆することがあり、また、原告会社の経営方針上他社に比較して営業費用が安かったものではあるが、その質の高さゆえ基本的に制作原価が高く、右の低廉な販売単価によって利益を出すためには相当な採択数が必要であった。

しかし、その質の高さにもかかわらず、原告会社の教科書の採択数はさほど伸びず、昭和六一年ころから平成四年までの採択数は、小学校図工、中学校及び高等学校美術(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)を合わせて年間五〇万冊ないし六〇万冊程度で推移し、平成四年度使用分教科書の採択数は約五二万冊、平成五年度使用分教科書の採択数は約五七万冊であった。

原告会社は、平成三年度に新しく設置された教科である小学校生活科の教科書も発行したが、その採択数は約四万六〇〇冊、売上高は約二七〇〇万円にとどまり、それのみを見れば利益が出たとしても、それによって原告会社の経営を改善するまでには到底至らなかった。

また、原告会社は、右のような教科書発行の傍ら、佐藤忠良の彫刻作品の販売等を行っていたが、原告会社の経営の中心は教科書の発行であり、右彫刻作品販売の利益等は教科書の販売に比較すれば僅少なものであった。

(甲三、四、一〇、一二の2、3、一三、一四、二二、二三、四一、乙三、三七の1、2)

右のような状況であったため、原告会社は毎年赤字を出し、その収益力に比較して極めて多額の累積損失を抱えていたが、大幅な赤字経営では金融機関からの融資が受けられなくなる可能性があったため、一郎は、やむを得ず、原告会社の経理を操作し、実際には信用供与で負債というべき前渡金や仮払金を資産に含めたり、実際の売上げは毎年二億円前後にすぎなかったのに決算書には四億円以上の売上げがあった旨計上するなどした上で、利益が出ているかのような粉飾決算をしていた。

平成四年九月当時の原告会社の借入金総額は、確定しているものだけでも約六億三〇〇〇万円に達し、右は原告会社の年間売上高の約三倍に及ぶものであり、その他にも図書印刷株式会社に対する手形金の支払(手形判決に基づく仮執行によって四四九四万八一〇二円の支払いをしていたが、なお三八〇〇万円以上の支払義務を負っており、これにつき本件事故から間もない平成四年一二月一日訴訟上の和解が成立した。甲一九はその和解調書正本である。)や、日販からの前受金等の債務があった。

(甲一三、一九、二二、乙一、四五、戊一〇。原告らは、一郎がしていた原告会社の決算は事実を反映したものである旨主張するが、原告会社の損益計算書には、例えば平成二年一〇月一日から翌三年九月三〇日までの売上高が五億三〇〇七万二五八三円と記載されており(戊一三資料一)、一方、同期間の原告会社の教科書の売上高は実際には二億円程度であり(甲二二、四一)、原告会社の売上高は教科書出版が中心でそれ以外の収入は少なかったことなどからすれば、原告らの右主張は採用できない。)

(五) 平成三年一一月ころ、原告会社は、日販に対して新たな融資を求めたが、日販は直ちにこれに応じなかった。その上で、日販は、それまでにも原告会社に対し多額の融資をしており(戊一〇)、そのための担保として前記下落合の一郎の自宅マンションに抵当権を設定し、かつ佐藤忠良作の彫刻作品「モデル」を預かるなどしていたものの(なお、日販は、原告会社から同作者の彫刻作品「エイ」及び「ジャケット」も預かっていたが、担保として預かっていたものと認めるに足りる証拠はない。甲四二、乙三九、戊一〇)、右マンションについては拓銀の先順位抵当権が存在し余剰担保価値がほとんどなく、佐藤忠良の彫刻作品についても右融資額に比して十分な担保価値があるとはいえなかったため、原告会社の返済能力について不安を感じ、右原告会社の申入れにつき、新たな融資をするのであれば日販に原告会社の財務調査をさせるよう要求した。しかし、原告会社には前記のとおり多額の累積損失があり、右財務調査によりこれが発覚すれば、日販から新たな融資を拒絶されるばかりか、これまでの債務についてもその返済を求められる恐れがあったため、一郎は、日販の右財務調査の要求を拒否し、日販から新たな融資を受けることを断念した。

日販からの右融資を断念した原告会社は、平成四年一月三一日、日販と競争関係にあるトーハンとの間で平成五年度用教科書の供給契約を締結し、その前受金名下に五〇〇〇万円の融資を受け、平成四年二月二八日、更に四〇〇〇万円の融資を受けた。なお、トーハンは、右の融資の担保として、原告会社に対し、生命保険への加入を求め、そのため、原告会社は被告大同との間で被保険者を一郎とする生命保険契約(別紙保険契約一覧表1)を締結し、その保険金請求権にトーハンのための質権を設定した。

(甲二八ないし三〇、三二、四二、乙三九、四七ないし四九、丙一、二、戊一〇、一二)

トーハンから右融資を受けた後の平成四年二月ころから、一郎は、日販に対し再度融資の依頼をし、同年六月四日、原告会社は、今後も日販との間で教科書供給契約を継続する旨の覚書(乙四〇)を交わした上、平成五年度教科書用中学校検定教科書見本制作費等に充てるための前払代金という名目で日販から四二〇〇万円の融資を受けた。

しかし、右融資は平成五年度教科書を日販に供給しその代金から清算することを前提としてされたものであったから、日販との間で平成五年度教科書の供給契約を締結しないことが確定した場合には、即時全額を返済しなければならないものであった。

また、平成四年九月末の段階で原告会社が日販との取引を打ち切った場合、原告会社は、日販に販売し在庫本のままで代金として受領していた約六二〇〇万円を支払って右在庫本を引き取る必要があり、さらに、前記の日販に連帯保証人となってもらっていた長銀からの借入金についても弁済しなければならなくなるという状況にあった。

(甲三二、乙三九、四〇、戊一〇、一一)

右のような状況にあったため、一郎は、日販に対し、既にトーハンとの間で平成五年度用教科書供給契約を締結したことを告げず、平林に対しても右事実を日販に言わないように指示していた。日販の原告会社担当者である高垣伸行(以下「高垣」という。)は、前記経緯によって平成五年度も日販と原告会社との間の教科書供給契約が継続されると考えていたため、原告会社に対し、平成四年七月ころ、同年一〇月に予定されていた各地方の特約取次店との契約会(いわゆる「大契約会」)に必要な原告会社との供給契約書を整えるべくその契約用紙を渡しており、本件事故の直前のころ、右契約書を完成させて日販に交付することを求めて一郎に電話をしていたが、一郎は不在とのことで結局連絡を取ることができずに推移していた。

(甲三二、乙四〇)

(六) 平成四年九月二八日当時、原告会社は、同月三〇日までに日本写真に対する約束手形二通の決済のための金三〇四七万七二九〇円及び長銀に対する借入金返済のための六三五万円を、同年一〇月八日までに長銀に対する借入金返済のための一八〇〇万円を調達する必要に迫られていたが、右当時原告会社の銀行口座には右支払をするに足りる預金がなく、同年九月三〇日までに右に見合う入金がされる予定もなかった(乙三八の1ないし14)。

それにもかかわらず、一郎は、本件事故までの間に右日本写真との間で右手形の書換えをするなどの措置を取ろうとしなかった。

(七) 同年九月二八日、一郎は、検定教科書の校正作業、納品の確認等の業務を行い、高校一年生用の美術教科書の巻頭に使用するピカソ作「ゲルニカ」の絵の印刷校正刷りの出来栄えを喜ぶなどしていた。

その後、一郎は、同日午後五時三〇分ころ、平林と原告会社の近くの食堂「大むら」に行き、夕食を取り、日本酒二、三合を飲んだ。その際、一郎は、平林に対し、教科書では今の政治は直せないなどという話をし、また、三島由紀夫の自殺の話をしていた。(証人平林ゆりは、一郎は「大むら」において青島幸男のハンガーストライキの話などをしていたのであって、三島由紀夫の自殺の話をしたことはない旨証言している。しかし、死体検案書(戊三の2)中には一郎が右のような話をした旨東京都監察医が聴取したような記載があり、右医師が右のような話のあったことを創作したとは到底考えられず、また、死体検案書の記載は相当程度に具体的であって右医師の聞き間違いであるとも認め難いから、平林の右証言は直ちに採用することができない。もっとも、右食堂における一郎と平林との会話内容がどのようなものであったかは本件の結論を直接左右しないものである。)

一郎と平林は右夕食後原告会社に戻り、一郎は、日本写真と電話で印刷・納品の件で打合せをし、また、前記「ゲルニカ」の印刷に使用したフィルムを貸してくれたプリハードの佐藤哲弥に電話をし、フィルム借用の礼を述べるとともに、三日後の一〇月一日に新宿で待ち合わせて酒を飲む約束をした。

(甲三ないし五、三四、戊三の1、2)

平林は、右二八日の夕食後、午後七時三〇分ころ仕事を終えて退社したが、その際一郎は、「ちょっと眠くなったから一眠りしてから仕事をする」などと言って社長室のソファに横になっていた。

(八) 一郎は、身長約一六八センチメートルであり、体格はやや肥満していた(戊三の1、2)。

一郎は、平成四年一月六日ころ、旅行先の風呂場の脱衣場で立ちくらみを起こして倒れたことがあった(甲二七)が、数年前の聖母病院の人間ドッグの検査結果においては、若干脂肪肝の傾向がみられる以外に疾病はないという結果が出ており、一郎は本件事故に至るまで普通に仕事をしていた。

2  本件踊り場の状況

本件踊り場は、原告会社の本社事務所のあったビルの外壁に設置されている非常階段の六階と七階の間の踊り場であるが、右踊り場の外側全面には、転落防止用の本件手すりが設置されていた。本件手すりは、床面から手すりの基部まで高さ約9.5センチメートルのコンクリート製の台があり、その上に、高さ約100.5センチメートルの鉄棚があるという構造で、建築基準法施行令一二六条一項の定める安全基準に準拠し、手すりの上部横棒の床面からの高さは約一一〇センチメートルである。

なお、手すりの縦棒と縦棒との間隔は各約21.5センチメートルであり、その間から成人男子が転落することはほとんどあり得ない。また、本件手すり上部の横棒から一郎のものと思われる手の跡が本件事故後発見された。

(甲一、二、戊一の1ないし11、二の1、2、三の1ないし12、八、検証の結果)

3  本件事故後の経過

(一) 平成四年九月二九日、一郎の親戚の中井一之(以下「中井」という。)は、本件事故の知らせを受けて原告会社に駆けつけ、拓銀から、原告会社が日本写真に対して振り出した手形の決済日が翌三〇日であるのに、原告会社の銀行口座には右の決算資金がない旨の連絡を受けた。そこで、中井は、同月三〇日に日本写真を訪れて、一郎がいかなる方法で手形を決済しようとしていたのかが分からないので取りあえず右決済を猶予してほしい旨を懇請し、日本写真は、一郎の死亡という緊急の事態が発生した以上やむを得ないと判断して、右手形の書換えに応じ、支払期日を同年一〇月末日に変更することとした。その後、同月末ころ、原告会社の経営を引き継いだ原告圭において、日本写真に対し再度手形書換えの申入れをし、支払期日を同年一一月末日に変更してもらい、同月六日に国から入金された教科書代金三五八二万一〇〇〇円をもって右の決済に充てた。

(甲三三)

(二) また、原告圭は、同年一〇月中旬ころ、日販に対し、平成五年度の教科書供給契約をトーハンとの間で締結したため日販と契約することはできないことを告げた。これにより、日販の高垣は、原告会社の平成五年度分の教科書供給契約が事実上日販とトーハンの二重契約状態になっていたことを知り、不愉快に思ったが、一郎が死亡しており、原告会社に日販への債務を一括返済する資力が到底ないことを承知していたこともあって、原告圭に対し、右のような二重契約状態につき殊更に咎めることをせず、単に、前受金四二〇〇万円の返済や、前記在庫本の引取りや、日販が連帯保証している長銀への債務の返済を求めるにとどめた。

(甲三二)

(三) アリコは、平成四年一一月一八日、日販に対し前記1(三)の逓減保険の保険金四〇〇〇万円を支払い、日販はこれを原告会社に対する債権の支払に充当した。(戊一一)

また、訴外アイ・エヌ・エイ生命保険株式会社(以下「アイ・エヌ・エイ」という。)は、そのころ、原告世津子に対し、一郎の死亡保険金として約五〇〇〇万円を支払った。 (甲三一)

二  検討

1  自殺に至る動機の有無

(一) 前記認定の各事実によれば、平成四年九月二八日ころの原告会社の経営は大幅な債務超過状況にあり、特に、同月三〇日には、日本写真に対して振り出した約束手形二通(額面合計三〇四七万七二九〇円)を決済し、また、長銀への返済(六三五万円)をしなければならなかったのに、銀行口座に右支払に充てるべき資金はほとんどなかったものであり、原告会社は、本件事故当時、倒産の危機に瀕していたというべきである。

これに対し、原告らは、弁済期が同年九月三〇日である各債務は、いずれも支払を延期すれば支払うことが可能であったと主張する。

確かに本件事故後右各債務は弁済されているが、これは、前記のとおり、一郎の急死という事態を考慮し、原告会社の窮地を救うために中井らが懇請した結果、日本写真がこれに応じて手形を書き換えてくれたこと、アリコから日販に支払われた保険金四〇〇〇万円が原告会社の債務の一部に充当されたことなどの事情によるものというべきである(なお、アイ・エヌ・エイから原告世津子に対し支払われた保険金約五〇〇〇万円も原告会社の債務の返済に充当されたと推認することができる。)。

したがって、本件事故後に右のような経緯で原告会社が右債務を弁済し、原告会社がいまだに倒産していないからといって、それゆえ原告会社が本件事故当時倒産の危機に瀕していなかったということはできない。けだし、本件事故がなかったとしても、日本写真が前記手形の書換えに応じたと認めるに足りる的確な証拠はない。また、原告会社の資金繰りが危機的な状況でなかったとすれば、一郎において、日販とトーハンの双方から前記平成五年度の教科書供給契約の締結を前提とした前受金名下の融資を受けるという、日販に対して相当背信的というべき行為をする必要もなかったというべきである。

(二) そして、本件事故当時、遅くとも平成四年一〇月の前記大契約会までに、一郎の右背信的行為が日販にも判明することが必至であり、これが判明すれば、日販から非難を受けるのみならず、従前の前受金名下の融資の返済や、在庫本の引取り等を求められるであろうことも明らかな状況にあった。

なお、一郎がした右二重契約まがいの行為につき、原告らは、一郎はトーハンの方が日販よりも契約条件が有利であったため、平成五年度の契約をトーハンと締結することとし、漸次日販への債務を減らして差し入れていた担保を取り戻し、これを別途有効に利用する予定であったものであり、日販が余剰担保の一部の返還に応じなかったため、やむなく余剰担保価値を利用するため日販から前受金名目で四二〇〇万円の資金を調達したにすぎないもので、右供給委託契約の相手方の変更は一郎の一種の経営判断にすぎないかのように主張する。

しかし、前掲各証拠によれば、トーハンからの前受金の利率は年七パーセント(戊一二)であり、日販のそれは年5.65パーセント(乙四〇)であるから、右利率の比較上、トーハンの方が有利であるとはいえない。また、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、日販に差し入れていた担保は前記下落合の自宅マンション、佐藤忠良の彫刻作品「モデル」であるが、右自宅マンションには拓銀を債権者とする極度額二億五〇〇〇万円の先順位根抵当権が設定されており、その担保価値はほとんどなく、かつ、右彫刻作品のみで日販への平成四年六月ころの前記総債務額(前受金分、長銀融資の連帯保証分及び在庫本分の合計)の担保として十分な価値があったと認めるに足りる的確な証拠はないというべきである(甲二八ないし三〇、四二、乙三九、四七、四八、戊一〇)。

さらに、トーハンの方が契約条件が有利であったために契約先をトーハンに変更したというのであれば、あえて右事実を秘したまま日販との間で二重契約というべき平成五年度教科書の供給契約を締結するかのような覚書を交わす必要はなかったものというべきであり、一郎において右のような背信的行為をしたのは、原告会社の運転資金が枯渇し、その調達の必要に迫られ、窮余の策としてトーハンとの間で教科書供給契約を締結し、同社から前受金名目の借入れをしたものの、それでも間に合わず、やむを得ず日販ども同様のことをしたものであることは明らかというべきである。

そして、もとより、翌年度の教科書供給契約をどの取次店と締結するかは原告会社が自由に決すべき事項ではあるが、従前から日販が原告会社に対し多大な支援をしてくれたことなどに照らせば、右取引先をトーハンに変更しながら、それを日販に秘したまま同社からも前受金名下の融資を受けたという背信的行為について、本件事故当時、一郎が自責の念にかられていたとしても何ら不自然でなく、本件全証拠からうかがわれる一郎の一面豪放ではあるが、一面誠実で生真面目な性格からして、一郎において右のような自責の念にかられていた可能性が高いと推測できる。加えて、前記大契約会が翌日に迫ってきていたことも、相当の精神的重圧となっていたであろうと推認できる。

(三) また、アリコの逓減保険の保険期間は平成四年九月三〇日に満了するものであり、実際には前記のとおり保険金が各年毎に逓減する保険であったものの、一般には余り知られていないものであったため、受取人である日販は一郎が右保険期間内に死亡した場合には常に二億円の死亡保険金が支払われるものと認識しており、そうであれば、本件事故当時、恐らく一郎においても、日販と同様な認識を有していた可能性が高い。一郎において、そのように誤解していたとすれば、一郎の死亡によって原告会社が倒産しても、右二億円の保険金によって日販に対する債務は完済することができ、余剰分や他の死亡保険金によって他の債務も相当返済することができ、一郎ないし原告会社のために不動産に担保を設定するなどして援助してくれた親戚、友人らが受ける損害を相当軽減することができると考えて自殺を企図した可能性が十分にあるというべきである。

(四) さらに、本件事故当時一郎において右逓減保険の保険金が四〇〇〇万円に逓減していることを知っていたとしても、右の保険期間は平成四年九月三〇日に満了するものであって、本件事故当時その満期が迫っていたことからして、一郎において前記同様に考え自殺を企図した可能性が十分にあるというべきである。

(五) 以上のとおりであるから、本件事故当時、一郎には自殺を企図することがあっても不自然でないというべき動機があったことが認められる。

2  事故現場の状況等

(一) 前記のとおり、一郎は、平成四年一月ころ、旅行先で立ちくらみを起こして倒れたことがあったが、本件事故当時脳血管系の疾患を有していたと認めるに足りる的確な証拠はない。

もっとも、一郎が本件事故当時六二歳であったことを考慮すれば、数年前の検査で異常が認められなかったにしても、何らかの脳血管系の疾患を持っていたとしても不自然ではなく、また、健康体の人間であったとしても立ちくらみを起こすことは全くあり得ないとはいえない。加えて、本件事故当時、一郎は深夜まで仕事をしており、相当程度に疲労していたと推認されることに照らせば、一郎が本件踊り場で立ちくらみを起こす可能性がなかったわけではない。(なお、一過性脳虚血発作は、その後脳梗塞に至ることもあるものの、その症状自体はいわゆる「立ちくらみ」と同一であると認められる。甲七、八、弁論の全趣旨)

(二) しかし、一般に、人間が安全のため建物に設置された手すりを越えて転落するためには、その身体の重心が手すりより外側に出る必要がある。

そして、佇立した姿勢にある人間が立ちくらみを起こした場合には、その場にしゃがみこむか、又は倒れるのが自然であるというべきところ、本件踊り場において一郎がしゃがみこんだ場合に本件事故が起こるとは到底考えられない。

前記のとおり、一郎の身長は約一六八センチメートルであり、本件手すりの高さは床面から約一一〇センチメートルであるから、本件手すりの最高部は一郎の鳩尾付近に相当する。人間(成人)の身体の重心は概ね腹部付近にあるというべきである(公知の事実)から、本件手すりの最高部は一郎の身体の重心より相当高い位置にあったことが明らかというべきである(なお、建築基準法上の手すりの安金基準(同法施行令一二六条一項)がその高さを1.1メートルと定めているのも、通常の人間の身体の重心が高さ1.1メートル以下の位置にあることを考慮しているものと考えられる。)。そして、仮に一郎が本件踊り場で立ちくらみを起こし、その身体が本件手すりの方向へ倒れたとしても、立ちくらみによって一郎の重心は直立の姿勢の場合よりも瞬時一層低くなっているはずであり、そのような体勢で身体の一部が緩やかに本件手すりに衝突するにとどまるから、一郎の身体の重心が本件手すりの外側に移動して転落するなどということはおよそあり得ないことというべきである。

(三) そこで、原告らの主張に沿って、一郎が、自分の乗用車の駐車位置を確認するため、本件踊り場から下の駐車場を覗き込んだ際に誤って転落したという可能性について検討する。

一般に、手すりの基部の台に足をかけて下を覗き込む姿勢を取る者は、幼児でもない限り、転落しないように慎重な体勢を取り、かつ、両手で手すりをしっかりと把握するのが自然である。そして、前記のとおり、本件手すりは、踊り場の床面から9.5センチメートルの高さのコンクリートの台があり、一郎が地面を覗き込むために右コンクリート部分に足をかけたとすれば、手すりの有効な高さは約一〇〇センチメートルになるが、そのような場合でも、本件手すりはなお一郎の上腹部に相当する高さにあり、仮に一郎が立ちくらみを起こしたとしても、一郎の身体は手すりの内側に崩れ落ちるはずである。

したがって、一郎において本件手すりから身を乗り出し、極めて危険な姿勢で下の駐車場を覗きこんでいる場合に立ちくらみを起こしたような極めて不運な場合でない限り、一郎が自殺以外によって本件踊り場からその外側に転落するという可能性はほとんど全くなかったことが認められる。

しかし、本件事故の際、一郎が自殺以外の動機によって右のような危険な姿勢をとり、そのような極めて危険な姿勢をとっていたまさにその時に立ちくらみを起こしたという相当の可能性があると疑うべき証拠は結局全くないものというべきである。

すなわち、前掲各証拠中には、一郎が下の駐車場を覗き込んだ可能性があることをうかがわせるものがある(証人平林(第二回)、甲三五)。しかし、本件事故の原因を探究するにつき極めて重要な事柄と考えられるのに、平林は、本件事故から三年以上経過後に作成した陳述書(甲三五。なお、その作成年月日として「平成七年七月一〇日」とあるは「平成八年七月一〇日」の誤記である。)において、「前社長が仕事を終って帰宅するつもりだったと仮定してみたところ、毎日、非常階段に出て自分の自動車の駐車位置を確認していたことを思い出したのです。」というのであり、平林において、本件事故が自殺でないと考えていたのであれば、本件事故から相当後に「思い出した」というのは、些か不自然というほかない。そして、本件事故の際一郎が帰宅しようとしていたものかどうか、帰宅しようとして右の確認行為をしたかどうかについても、これを認めるに足りる的確な証拠はないし、仮に一郎が本件踊り場において駐車場を覗き込んだとしても、通常の社会人である一郎が前記のような極めて危険な姿勢をとったとは容易に考えられない。まして、そのような危険な姿勢をとった時点で運悪く立ちくらみを起こすということは通常およそあり得ないことというべきである。したがって、一郎が下の駐車場を覗き込んだ可能性があることをもって、本件事故が自殺によるものでないとすることは相当でないというべきである。

3  本件事故が自殺によるものかどうかについて

前記認定のとおり、一郎は本件事故の前日の夕方にプリハードの佐藤哲弥と三日後に会う約束をしていることが認められ、また、一郎の遺書が存在したという証拠はない。しかし、自殺をする者が必ず遺書を残すとは限らず、また、自殺を決行する直前に自殺の決意をする者も相当程度存在するというべきである(乙二、戊七、九)から、一郎が佐藤哲弥と会う約束をしていたことなどをもって、本件事故が自殺でないことの証左とすることは相当でない。

そして、一郎は、前記のとおりの自殺を企図する動機を有しており、同人が感じていた前記の精神的な重圧及び疲労感は察するに余りあるというべきであって、一郎がこれから逃れるために自殺を決意した可能性のあることが十分に認められる。

これに加えて、前記死体検案書(戊三の2)によれば、本件事故によって一郎は頭蓋骨、顔面骨粉砕骨折、脳脱出、右胸部変形(肋骨多発骨折)、右肩関節脱臼骨折等の傷害を負い、恐らく即死したことが認められ、もとより、右傷害の部位程度から直ちに死因を自殺と断定することはできないものの、右傷害の部位程度からして一郎は地上に頭部から落下したことがうかがわれ、そうであれば、それは一郎が自殺を図ったことと符合し、少なくともこれを否定するようなものではない。

また、前記のとおり、本件踊り場は、仮に一郎が立ちくちみを起こしたとしても、通常誤って外側に転落することはあり得ないような場所であり、一郎が自ら転落の恐れのある前記のような極めて危険な姿勢をとり、かつ、まさにそのような時点で立ちくらみが起きたような場合でない限り、一郎が転落することはおよそ考えられないような場所であることが明らかである。

以上の各事実及び前掲各証拠を総合すれば、本件事故は、一郎が自殺を企図して発生したものと認めるのが相当というべきである。

4  まとめ

したがって、被告安田、被告エイアイユー及び被告大東京に係る傷害保険契約及び所得補償保険契約(同表記載2ないし27)についても、被保険者である一郎が「急激かつ偶然な外来の事故」により死亡したという要件が認められないことにより、原告ら主張の保険金請求権は認められないことになる。

また、被告大同に係る生命保険契約(別紙保険契約一覧表記載1)に基づく原告らの請求については、右契約上約定されていた給付責任開始の日から一年以内の被保険者の自殺という支払免責事由が存在することになるから、被告大同には原告ら主張の保険金の支払義務がないことになる。

三  よって、原告らの被告らに対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないものであるから、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤剛 裁判官 本多知成 裁判官 中村心)

別紙 保険契約一覧表<省略>

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